Andersen AFB
Insingnia of 36ABW
上空から見たアンダーセン空軍基地である。グアムからの帰りの便で風向きを考え右手の窓側座席を確保し運良く撮影できた基地の様子。上の写真を見るとお分かりの通り、ランウェイの片側は半島の端に突き出た形で、これでは海側からアプローチする機体を撮影するのは厳しい。この周りの森は狩猟ができると地元の人が言っていたので、踏み込むことは可能かもしれないがイノシシと間違われて撃ち殺されたら、つまらん人生になってしまう。一昔前は2本のランウェイの中間にある駐機スポットにゴロゴロB-52がいたんでしょうな・・・・・
1944年 2万名の日本軍守備隊が玉砕し アメリカ軍がこの島を奪回してから建設された基地で、B-29の基地としてテニアンと並ぶ日本本土爆撃の拠点となった。アンダーセンの名は、1945年に殉職したジェームス・R・アンダーセン将軍からつけられている。
グアム島のアンダーセン空軍基地と言えば、ベトナム戦争時B-52Dの出撃基地として誰でも記憶がある筈である。我々航空ファンにとっても常駐している航空部隊があれば行ってみたい基地の一つであるが、残念ながら100機以上のB-52Dが存在した昔のアンダーセン空軍基地の面影は皆無である。B-52が去った後のアンダーセン空軍基地は給油・補給の基地として、またスペースシャトルの緊急着陸基地としての機能を持ち続けて、時折コープノース演習等の日米統合演習も行われてきた為、話題にはなっても存在感はすっかり薄れていた。しかしニューヨークでの連続多発テロ事件以降、北朝鮮または中国を牽制する戦略拠点として、また中東に展開する上での補給基地としても再び注目を浴びるようになった。その後2002年8月に当時の太平洋軍空軍司令官ベガート大将が、グアムを東アジアの戦略拠点として戦略爆撃機、給油機、新戦闘機の配置を示唆し、基地の機能強化を図る旨発表して以来、俄然日本でも話題になった。最近ではF-22ラプターの配備すら公式に報道され、特に中国・朝鮮半島における戦略上、この基地の重要性は高まるものと見られる。そんなアンダーセンAFBを訪れて見た。(2004年12月 記)

MainGate of Andersen AFB Sep.2004

グアム島は日本から南に下って2000Km、飛行時間で約3時間少々で辿り着く小島である。昔からグアム旅行と言えばハワイに並ぶアイランド・リゾートとして日本人が多い所と知っていたので予想はしていたが、島のリゾート地域は正に「此処は日本か?」と思うほど日本人ばかりであった。沖縄に観光で来たみたいである。地元のチャモロ人も日本語ペラペラ、全く外国に来た気がしなかったが、車で島の南に下るとチャモロ人の村落が多く 英語しか通じない事が判った。北に上ると米軍基地が多い為、白人と遭遇する機会が多くすっかり日本人の姿は見えなくなった。アンダーセン空軍基地は首都アガナから車で30分係らない位置にある。小高い丘陵地となっていて、ランウェイの片側は海の方に突き出ている様子は帰国の機上から確認できた。以前は年に1度オープンハウスがあったが、最近はランダムのようで、地元の人も最近は殆ど基地に入ったことが無いという話であった。特にニューヨークでのテロ事件後は、基地周辺をうろつくだけで職務質問されるなど相当厳しい警戒がとられていると水着の小売店のおばちゃん迄が話している程である。でも2004年9月この島にアメリカ空軍のアクロバット飛行チーム・サンダーバーズが来る事になって、久々の航空ショーは盛り上がる事になった。(2004年12月19日 記)
基地東側から見たアンダーセンAFBである。写真.左側にB-52Hの列線が見て取れる。ルイジアナ州バークスデールAFBから来ていた第2爆撃航空団の面々である。右側は、KC-135が見える。写真左手がエプロンの方角でランウェイは広すぎる為 ゆがんで見えるのだ・・・
アンダーセン空軍基地でタワーに書き込まれたインシグニアを見て、何処かで見たような気がしたが思い出せなかった。36th ABWはこの基地を管轄している航空団であるが、固有の飛行隊を持っている訳ではなく、この基地を利用して作戦を行う部隊がある場合、基地の機能をフルに活用できるように常に万全の体制を保つ為の部隊である。後で判ったのだが、この36th ABWは、1977年に当時ヨーロッパに初めてF-15Aが配備され、注目を浴びた西ドイツビットブルグ空軍基地の36th TFWであった。36h TFWは東西冷戦の初期からずっとビットブルグをベースにF-84、F-86、F-100、F-105、F-102と新鋭機を使い続け、1969年に当時の新鋭機F-4Eを受領している。この航空団は最大時5個飛行隊も抱えていたから嘉手納の18th TFW並みの勢力であったのだ。この伝統ある航空団も冷戦の終結と共に無くなったかと思いきや、しっかりアンダーセンで復活していた訳である。当時”BT”のレターを付けたF-15Aのエンジン空気取り入れ口横に書かれた36th TFWのインシグニアは、左のインシグニアがステンシルに収まり上に鷲のマークが入っており若干異なる。この部隊、1941年にカリブ海防衛を目的に陸軍航空隊に作られた飛行隊で、1944年にはP-47を保有してヨーロッパ戦線で戦っているので古い部隊だ。今は固定の航空部隊を持っていないが、意外とF-22などが配備されれば再び注目される航空団になるかもしれない。
総海岸線延長125km ミクロネシア諸島最大の島で、16世紀にマゼランにより発見され1898年の米西戦争まではスペイン領だった。年間通じて平均気温が28度と言う安定した熱帯海洋性気候 夏の沖縄の気候が1年中楽しめるのだ。時折大きな台風が来るが、回数は多くない。
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